君と僕と貴方の恋愛と愛憎の恋の方程式
自分の好きな人に彼氏がいたら、それは男性にとっても女性にとっても辛い事だろう。時に嫌な男になったり女になったりするかもしれない。それは、負の感情ともいえるもので、「別れてほしい。自分だけを見てほしい。」という感情だろう。
他の誰かとしゃべっているとイラつき視線さえも気になってくる。それは、その相手の事を心から好きだという証なのだろう。両想いの相手に他者が想いを寄せることを一般的に横恋慕と言われるが、私は誰かを想うのは自由だと思う。
それが悪い行為だとは全く思わない。しかし、その想いが強すぎて想いが悪意に変わる時がある。それに対して私は賛同しかねる。何故か?自身の中で想い続けるのはいい。だが、その想いが悪意に変わることで、いらぬ噂を立てたり、想い人の相手の悪口を言ったりしては、そこにあった純粋な恋というものはすでに消えており、愛憎でしかない。
愛しいが憎いそれが相手に向けられたときその想いはもうその時点で純粋なものではないのだ。こういう事もある、付き合っていた男女が別れた時、その傷につけ込むように支えるようにして自分に関心を向けさせる行為。
これも、場合によっては悪意とみなされる時がある。そう、行為自体は悪い事ではない傷心の相手を思いやり支えてあげることはとても頼もしい。しかし、次の場合は違う。自分が別れさせる切掛けを作って別れさせるように仕向けた時だ。
これは同じ行為をしても悪意の塊としか言えない。いや、なんて自己中心的な行動だろう。一度、そんな自分を思い浮かべてほしい。それで勝ち取ったものなどに何の意味があるのだろう。そんな自分は容姿ではなく心が醜い。
そんな事をして得られたものに誇りを感じられるだろうか?最初は満足するかもしれない。自分をやっと見てくれた相手に。でも、確実に相手に隠している事柄が存在するのだ。だんだんそれに心がついていかなくなる。
それでも、相手にその事柄を隠し通すだろうか?それとも、別れを覚悟しても話すだろうか?難しいところである。恋愛は自由である。だけども、そこにある各意志を無視はしてはいけない。どんなに辛くともそれを耐えるのもまた一つの恋だ。恋というのは簡単にいくものじゃない。
時には苦しいし、相手を思うとご飯が喉を通らなくなるほど切ない思いがある。でも、それが、恋だと受け止めてほしい。そして、想いに囚われて行動はしないでほしい。それは、自分を醜いものに変えていく。
どうせ恋愛をしたなら、思い出した時に綺麗な思い出として記憶しておきたいものだ。苦しい想いも切なさも自分のものなのだからそれこそ大事に抱えてほしいと思う。